就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

「内容2 タイミング8」の会話について。

 

atomryu.hatenablog.com

  過去にこのような記事を書いていました。あまりにコミュニケーション能力が低くなっているように感じて危険を感じ始めていたのです。そして最終的に僕は「やっぱり会話の誠実さが大切なんだ」と結論に至ります。

 

 今の僕は、過去一年間を振り返って一番コミュニケーション能力が高くなっている。理由は明快で、毎日たくさんの人と会話を繰り返したからだ。ある時はまったく実のない会話だとわかりつつ辛抱強く会話を続けた。そうすると、「技術としてのコミュニケーション能力」がメキメキ上達してしまったのだ。「技術として」というのは、誰とどんな状態で会話をしようともある程度軽快な会話を楽しむことができるスキルという意味で、具体的なものを示すと「タイミング」とか「間の取り方」とか「相手の持ち上げ方」とかが挙げられる。

 つまり、会話のスキル云々に関わらず、相手に誠意を持つというスタイルからは対極の会話と言えるかもしれない。おまえ、言ってたことと違うじゃんと指をさしたい気持ちはわかる。僕だって大丈夫?と疑問に思うことがある。けれど、できるようになっちゃったから仕方がないんだもん。今回はこのスキルを実装した会話について書いてみる。

 

 僕がいままでしてきた会話はいうなれば「内容9 タイミング1」の完全に内容に重きを置いたものだった。相手が発言した内容をそのまま呑みこんで、たっぷりと時間をかけて考えてみる。その間、相手は辛抱強く口を開くのを待つ。これに対して、スキルのある会話は「内容2 タイミング8」という内訳になっている。これはどういう会話かというと、核心を触れて濃密な情報を得るというよりも、簡単なジャブをタイミングよく打ち合って、会話自体を楽しむものだ。極論を話してしまうと、「ちんこ!」とベストなタイミングで発言すれば、会話が成り立つし、むしろ会話の運びが円滑になったりする。

 

 僕がこの会話を実際に経験してみて感じるのは「即興音楽に近い」ということだ。ジャズの即興パートであったり、ストンプ(身近な道具を打ち合わせることでパーカッションを楽しむ音楽)に通じるものがある。

 「ジャズの本質は即興にあり」という言葉ある。ジャズというのは多様な人種の人々が音楽という共通の言語を使用して心を通い合わせる。それは即興と呼ばれる、メロディにしばられず、自由に音を奏で、時に相手に身をゆだねたり、導いたりする場面で色濃く現れるのだ。彼らは自分たちの出身地や宗教、個人的な思想を話したりしない。ただ、演奏された音に自身の音を重ねることで相手のことが「わかる」のである。

 これは「内容2 タイミング8」の会話に似ているのだ。僕は自分の思想を直接語ったりしない、そのかわりに昨日食べたものとか、睡眠時間とか誰だって簡単に理解できる重要ではない言葉を意図的につかう。相手もそれに乗ってちょっと食い気味に「僕もです!」とか、あえて間をおいて「えー、そんなことあります?」と返してくる。このシンプルなやり取りを繰り返していくと、独特なグルーヴが会話のなかに現れるんだ。最初は自信なさげだけれど、会話がエキサイトするにつれて次第に大きくなり、あるとき最高潮を迎える。これがねえ、めちゃくちゃきもちがいいんだ。ピアノとドラムがどんどん遠くに行っちゃって「これ戻ってこれるのか。。」と心配しながら真剣に耳を傾けて待っていると、意外なところから現れて素晴らしい着地をきめる。それを目撃して、とんでもない快感がどっとやってくる。まさにあれなんだ。

 

 僕がこの会話を体験して感じたのは「会話は手段であって、問題はどう相手を理解するか」ということだ。直接君はどういう人間なんだと聞いてみてじっくり考えてみるもいいし、相手との即興会話を通して「わかる」のでもいい。手段を突き詰めて習練するもいいし、手段をたくさん持つのもいい。

 僕は魚を食べたければ肉を食べたいときもある人間だから、手段をいくつか残しておこうと思う。人と会話をしないとどんどん衰えていくので、定期的な会話をする機会を作らないとね。

 

今日も読んでくれてありがとう。食も文化も雑食ときたら会話も雑食だったよ。また明日。