樹木希林さんの死を落として返ってきたもの。
樹木希林さんが亡くなった。時事について文章まとめるのは気がひけるけれど、仕方がない。今日はかいてしまう。
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きっかけはほぼ日の記事を読んだからだった。糸井重里さんが余命3年と宣告された写真家と「生きることと死ぬこと」について対談をしていた。全6回の記事の最後は、「死んだ後に生きる」というテーマで構成されていた。糸井さんがこの世の中に残された作品や思想は数えきれない。糸井さんがこの世にいなくなっても、MOTHERを遊ぶ子供や大人やお姉さんたちが、ふっと糸井さんを思い出してくれる。そしたらずっと誰かの中で生きていける。それって素敵なことだよね。という話だった。
僕は特に感動しなかった。つまり、左右上下、どこにも感情は動かなかった。というのも、「このての話は話しつくされている」ような気がするからだ。「糸井重里さんがAについての話をした」という事実が残っただけである。もちろんそれで、救われる人々がいる、ただ僕にはまだ理解できそうにない。ただリストに格納されただけだった。
(使い古されたテーマを扱っても誰かが読んでくれるのは、信頼があるからだと感じた。文章を書く者の信用は、人柄と文体なんだろう。職業的な文章書きは本当に素敵だなあという記事もかいておきたい)
List_death[1]
「人は二度死ぬ」と言ったのは音楽の教師だった。僕は中学3年の夏に部活を引退すると、合唱部のスカウトを受けて、毎日のように合唱の練習をしていた。先生が選曲した自由曲は中学生には扱いきれそうにないものだった。技術的な問題がある上に、死生観が強い作品だったのだ。
僕のなかを掠めるものは
僕のなかを掠めるものは、いつもとどまれ。おまへはうたへ。骨よ、頰よ、散り挫け、いのちを飾れ。僕の歌よ、おまへは息をつまらせて、明るい時の下で死ね。
空より花は振るがよい。くやしみは僕を燃やすがよい。だが、歌、おまへはうたへ。瘠せた心は乾枯(ひか)らびた。言葉よ、立ち去れ。僕の歌よ、のこれ。おまへは僕を嚙みつくし、腦天の上でへどを吐け。
昔、みれんは船に乘り、湖水にランプを浮べたが、あれは僕ではないだらう、僕よ、傷よ。おまへは船につながれて、藻草をわけて沈んだが。かたちよ、立ち去れ。おまへを捨てろ。
落ちる日、飛べ。輝かしい愚かな小鳥、おまへの千のいのちのために。星へ、骨へ、後悔よ、羽ばたけ。僕を掠めて飛ぶものはいつもかがやけ。おまへはうたえ。明るい時の下で死ね。
うん、中学生のがきが味わうには早すぎる。いま改めてそう思う。先生は技術的な問題に着手すると同時に、難解な歌詞の解釈にも取り組んでいた。ある日、先生は僕たちに言ったのだ。「人は二度死ぬ」と。そして「二度目の死はいつ訪れるだろう」と僕たちに問いかけた。見当もつかない僕たちは、ただうつむいていることしかできなかった。しばらく時間をおいて、先生は僕たちにいった。「それは、忘れられたときよ」と。
僕は非常に妥当な答えだと感じた。先生が僕たちに伝えたいこともよく分かった。例も提示することができる。けれどそれは、僕にとって「隣の芝は青い」くらいの慣用句として扱われた。そしてリストに格納されただけだった。
List_death[2]
「キャラバン」というジャズのスタンダードナンバーがある。1935年にデュークエリントンによって作曲され、1937年に歌詞がつけれれた。
聴いたことがあるかわからないけれど、ほんの少し足を踏み入れると、それは「かえるのうた」くらいの常識として扱われる。お客さんも「お、キャラバンか。いいね」となるし、プレイヤーに至っては、「じゃあキャラバンでもやりますか」と言って、テンポとキーだけ確認したらいつだってセッションができる。なんなら「今日は疲れちゃったからヴォサノバ調にするかー」なんてこともできる。まったく恐ろしいもんだ。
もし、曲を演奏されるたびにデュークエリントンが引っ張り出せれているなら、彼は毎日大忙しだろう。毎晩毎晩小さい会場にも、でかい会場にも、田舎にも、都市にも、顔を出さないといけない。セットリストを確認して、よし今日は出番なしだ!と家で晩酌していても、いきなりアンコールで呼び出されるなんてこともしょっちゅうだろう。まったく恐ろしいもんだ。
なぜか僕にとってキャラバンというスタンダードナンバーはこのリストに格納されている。
さて、死にまつわる事象をそれぞれ紹介してみた。まだまだ格納された要素はある。今回、樹木希林さんの話を投げ込んで帰ってきたものがこの三つだったということだ。先に言ってしまうと、この記事には結論がない。ただ、そういうものだ。と書きたくなってしまったのだ。断っておくが、普段の僕ならまずこんなことはしない。結論のない記事にどれほどの価値があるか僕にはわからないからだ。
今日も読んでくれてありがとう。明日はちゃんとしたものを書こうかな。また明日。