就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

オタクショートストーリー2 スマートな別れ

「僕たち、40歳になってまだ独身だったら、潔く二人で結婚しよう」と僕は言った。

彼女は目の前に置かれたレモネードのグラスを握りしめて、輪切りにされた檸檬をプラスチック製の短いストローを使って何度も押しつぶしていた。

「さっぱり檸檬の酸味がしないの。なんだか甘いシロップを飲まされているみたいで」と彼女は言った。視線は依然として、グラスの中の檸檬に注がれていた。そして彼女はストローの動きを止めることをしなかった。

「どうやら、レモネードの醍醐味をわかってないようだね。僕の店だと果汁を絞ってから檸檬をグラスに入れるし、飲物によっては飲み口に果汁をつけたりするんだ」

「素敵なお店ね。レモネードの何たるかをきっと熟知しているのね」

「もちろん」と僕は答えた。

レモネードの醍醐味。またはレモネードの何たるかを僕は知らなかった。それに見当もつかなかった。彼女はおそらくそのことを察しているだろう。けれど、それについて問い詰めたりすることはしない。

 

僕たちは本屋の中に併設されたカフェから出てエレベーターに乗り、地上に降りてきた。施設から電車の改札口までは直結しており、エレベーターを降りた直後、二人は別れを告げるタイミングをそれぞれの感覚で図りはじめた。

「東京に出るのは何日なの」と僕は切り出した。

「3月31日よ。宿を調べてみたら住所が町田だったのよ。本社から遠いし、足もけがをしているし、なんだか不安ね」

「君のあだ名が骨折にならないことを祈るよ」

「私もそう祈るばかりだわ」と彼女は言った。

我々の意識には共通して別れという言葉が付きまとっていた。

 

僕は23年の人生で、いまだにスマートな別れを成功させたことがない。スマートな別れには、心地のよい笑顔と、気の利いた言葉と、後腐れのない気持ちが必要なのだろう。僕が憧れるのは、まるで次に会うことが決められていているような爽やかな別れである。別れには耐えようがないほどの寂寥感がつきまとった。僕は(意図的な)固い握手を交わした後に、必死に目じりを下げ、口角を上げる努力をした。自分が持ちうる最大の笑顔を相手に作って見せようとするのだ。しかし、必ずといっていいほど、相手は憐れむように僕をみて笑った。そして「そんな悲しい顔をするなよ。またすぐ会えるさ」と気をつかって僕に語りかけるのだ。いったい何が原因なのだろう。顔の造形に問題があるのは明らかなのだが、それについて僕は見当もつかなかった。レモネードがなんたるかを理解できないように。

 

「僕はもう少し本を読んでから帰るね」と先ほど降りたエレベーターに視線を投げかけて呟いた。避けがたい別れがまたやってきたのである。

「わかったわ」と彼女は言った。

彼女は首をほんの少し傾けるようにして僕を見上げた。彼女は斜め上を見上げるとき、ユーモラスでほんの少しアンニュイな表情をする。僕はその表情がたまらなく好きだった。

「次はいつ会うことができるだろうね」と僕は言った。

「そうね、40歳になった時かしら」

「おいおい、ちゃんと覚えていたんだな。聞いていないかと思ったよ」

「お互いに独身であることを祈っているわ」

彼女はそう呟いて、改札の方向に向かって歩いていった。僕は茫然と彼女の背中を見つめることしかできなかった。

僕はいつになったらスマートな別れを身に着けることができるのだろう。もしかしたら見当もつかないまま一生を終えるのかもしれない。けれど、あのとき口から出かけた言葉がある。

「僕もそう祈るばかりだ」

なんの変哲もない言葉にスマートな別れの鍵は隠されているのかもしれない。