就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

「季節の本質は移り変わることだと思う」について。

こんばんは。嵐が来る前に、なんとか文章を書いてしまおうかと思います。

 

 「季節の本質は移り変わることだと思う」というつぶやきをtwitterで大学の先輩がしていた。「おいおい本質だなんて、若造になにがわかるねん」とつっかかりたくなる人がいると思うんだけど、考えれば考えるほど、これは確かな事実じゃないか?と感じてきた。それについて書いてみる。

 

 季節という言葉は春夏秋冬の4つの季節を表す言葉として使われる。つまり、地球の気候は365日間の中で暑くなったり寒くなったりして循環を続けているわけだけど、それを大まかに4つの状態にわけてしまおうということだ。これは結構便利で「おまえ一番好きな季節は?」と尋ねると、答える人は「夏だよ」と即答することができる。それを聞いた質問者は「ああ、こいつは気温と湿度がたかく、レジャーが活発になるあの期間がだいたいすきなんだな」とわかるわけだ。毎度毎度これを説明する手間が省けるので、こうした共通の概念を持っていることは便利だよね。

 

 けれど、春夏秋冬という価値観が季節そのものを示すのか?と考えると、違うんじゃないの。と言いたい。地球の気候は刻一刻と暑くなったり寒くなったり変化を続けている。一分後にいきなり気温が20度下がって雪がふってきました!みたいなことはまず起こりえない(ちょっと楽しそうだけどね) 実際は半年かけてすこしづつ気温が下がっているわけだ。その変化はあまりにも微細なので僕たちは意識することもほとんどあない。「このダイナミズムそのものが、季節じゃないのかな」ということを先輩は言いたかったのだと僕は解釈した。

 

 季節というものが、移り代わる環境そのものということはわかってきた。ここで僕は「季節の本質を愛でられたらいいなあ」と思うわけだ。だって、今まで夏が好き!とか概念ばかりを愛でてきたわけだから、季節の噂話をきいて好きとか嫌いを決めていたにすぎないじゃない。本当は、季節を自分の目でみて好き嫌いを判断したい。

 で、これがとても難しいんだよね。というのも、人は変化量を可視化することでしか流動的なものを扱うことができないからだ。例えば、今が夏(と呼ばれる状態)だとして、あなたはどのように秋がやってきたと感じるだろうか。ある人は、テレビの週間天気予報をみて日ごとの平均気温を確認すると、三日前の気温と比べてずいぶん下がっていたから秋がきたのだと感じるかもしれない。ある人は、朝起きると想像していたよりも寒くて、今日は上着がいるなあと秋物の服をクローゼットの中から引っ張り出しているときに秋だなあと感じるかもしれない。これらの行為は、気温という評価基準や、来ている服の種類や数といった季節とは異なるものを基準として扱っている。どれだけ考えても、可視化を行わないと難しいよなあとお手上げ状態になってしまうわけだ。

 

 リアルタイムの航空画像ならどうだ、いや、だめだ。みたいないたちごっこを続けていると、僕は季節を積分しようとしているんだなあとふと思った。ようは変化するそのものは扱えないから、限りなく細かいものを積み重ねることで疑似のものを作り出そうという試みだ。で、あきらめました。人間には物理的限界があるからです。「無限回」という言葉を日常会話で使用するのはどうしようもないオタクくらいだからね。

 だから、僕たちができることは、なるべく細かな(ささいな)ことで変化にきづけること。その手段をたくさんもっていることじゃないかな。「俺夏が好き」じゃなくて「入道雲が浮かんでる景色がすき」とか。ニュースキャスターが秋の訪れを告げてはっと気づくのではなく、木々の色合いの変化に気づけるようになったりね。なるべく身近なもので、自ら気づくという姿勢が、きっと「季節の本質」を理解する助けになると思うんだ。

 

今日も読んでくれてありがとう。まけをみとめてしまうことも大事だったりするよね。また明日。