就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

自分ができることを他人ができないといらっとする。ことについて

「じぶんができることを他人ができないといらっとする」というのは、人間にくみこまれたプログラムじゃないでしょうか。「どうしてこんな簡単なこともできないの」と子供に怒る大人はそのいい例だろう。はやくこの事実に気づいたひとや、カンがいいひとは「怒らない努力」ではなく「怒りそうになったときにうまくやる努力」をしていると思う。僕もそうだ。バイト先で新人がミスをおかしてしまったとき、怒りそうになるのをぐっとこらえて、「まあそんなときもあるさ」と声をかけたりあいてによってはちゃかして場を和ませたりする。たまに眉間の皺がかくしきれなくて怖がらせてしまうこともあるんだけどね。

 

困ったことに、僕がよくミスをする人間なのだ。とても手先が不器用なので初めて任される仕事は高確率で失敗をする。グラスを落として割ってしまうことがあるし、ラッピングをしていてプレゼントを傷つけてしまったりする。すると、さきほどの法則どおり「なんでこんな簡単なこともできないだ」と先輩や上司に叱られるのである。よのなか寛容でできた人間というのは少ない。こうなると僕はグラスさえもうまく扱えないやつだと先輩に認識をされる。そうなれば当然カクテルなんて作らせることはできないと判断されるし、じゃあもうお前はホールの仕事をやれとわかりやすく左遷されることだってある。

 

不思議なことに、僕はいまバーカウンター内でカクテルを作っているし、先輩を足蹴につかうことが多い。「先輩、そのカクテルを客に出すつもりですか」なんて言って仕事を任せてもらったりする。僕が失敗をした後に、がむしゃらに努力をして、先輩を見返してやろう!と躍起になったわけではない。ホールの仕事をしていたら自然とカウンターの中に入れてもらうようになり、気づいたらカクテルを作るようになり、先輩と対等に話をするようになっただけである。つまりどうころぼうとも僕は先輩とカクテルを作りあうことになっていたのである。グラスを割ろうが割るまいがね。

 

怒りにはいろいろな種類があるようだ。例えば「プライドを傷つけられたことへの怒り」「大切なものを奪われた怒り」「反省に近い自分への怒り」とか、書きはじめるときりがないけれどその中に「自分ができることが他人にはできない怒り」がある。この怒りには注意が必要だ。なぜなら誰でもミスをおかすことはあるからだ。そして、この怒りが限りなく自己本位なものだからである。身近にある怒りにもかかわらず、表に出したところで一利もない。僕は、幸運なことに数えきれないくらいこのタイプの怒りを身に受けてきたから自分で気をつけておくことができる。本当に幸運な男である。本当にね。

もし、君が不当な怒りをかってしまったら、特に問題はないと考えよう。それは君の問題ではなくて怒った本人の問題だし、個人的な怒りというのは共感をえることが難しいのだ。時間が解決してくれるので、はやく布団のなかに入って寝てしまおう。

 

今日も読んでくれてありがとう。僕は本当に幸運な人間だなあ。