就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

就活日記 その1

 

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 僕は9か月もの間就活をしていた。これは比較的長い就活だということができる。一般的な大学生は三月の企業の情報解禁を合図にぼちぼち志望業種を絞り始める。そして4月5月の二か月間に恐ろしい数のエントリーシートを書き上げて、そしてこれまた恐ろしい数の面接を受ける。だいたいこの流れで何社かの内々定を得て残る時間で天秤にかけて吟味をするのだ。僕は12月24日、つまり世の中ではクリスマスイブと認知されている日に初めての面接を受けた。そして九月の上旬、最後の企業の面接まで就活をつづけた。

 

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 大学は4月から前期が始まる。僕も前期の学費を払っていたので研究室に通い成果は期待できないまでも卒業要件を満たすための作業をこなす必要があった。しかし僕はこれと決めたらどうしてもほかのものに気を回すことができない性分であったので、自分の生きたい企業に入るための研究がしたい、そのためには学校で頭を使うのは浪費以外のなにものでもないと考えた。おいおいもう少し頭を冷やしたらどうだ。おいしいIPAがつながっている店があるんだぜ。と今なら自分に歯止めをかけることができるが、当時の僕はそうじゃなかった。希望する企業に入社できるかできないか、オールオアナッシングという考え方しか持ち合わせていなかったのである。

 

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 研究室の教授には就活に専念したいということを正直に伝えて了承を得ることができた。彼は自身のスタンスを発表する場でよくこのようなことを発言していた。「人は興味があることに最も力を発揮することができるのです。私は生徒にこれをしろあれをしろとタスクを押し付けたりはしません。君のやりたいことが研究でなければ君は研究をやらなくてもいい」彼は生徒の持ちうるポテンシャルを心から信じているのである。そして博識で知識が体系化されている人によく見られる特徴としてとても寛容な人間だった。どこかはわからないが、日本ではないどこかの国のトレンディさを身に着けているのである。僕はその姿勢が新鮮に感じたし何かできるかもしれないと感じて彼の研究室を強く希望し、結果希望通りに配属されることになったのだが、その後ほとんど研究室に顔を出すことはなかった。その自由さはあまりにも無秩序で僕を括り付けるものが何一つなかった。そして僕は案の定、行く先が不明瞭な道に向かって歩み始めてしまったのだ。

 

さようなら
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