就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

「いいなあ」ってなんだか言いづらくない?って話。

 

先日このようなツイートをtwitterのタイムラインで見かけた。中学二年生の女の子が前沢友作社長の特集番組をみて作文ををしたようである。まずはお手数ですがよんでみてください。
どうだったでしょうか。僕の感想は「いいなあ」でした。もうね、「いいなあ」なんですよ。僕はこの作文で最もすきなところは
” 中には、「ストレスなく着れるのは初めて」と言っている人もいて、見ているだけで私までうれしくなりました。”
というひと分です。
僕はこれを読んで勇気をもらいました。
僕は「いいなあ」が多い人間です。けっこうなんでもいいなあと思っちゃうタイプなんですね。けれど、「いいなあ」は感想であって、そのものの情報ではないんですよね。他人に伝えようとしても、それは「僕が、それをいいと思った」という情報しか与えることしかできません。だからしかたなく「これはさ、色使いがとても繊細で」とか「この時代に残るもものとしては貴重でね」とか相手に有益な情報を与えるという名目で、がんばって「いいなあ」を説明することになります。僕の説明に対して、友達は満足してくれたかもしれないけれど、「僕は色づかいとか希少性にいいなあって思ったんだっけ」という気持ちになっていくんだよね。もっとあいまいで、けれどもっと強い感情だった気がするんだけどなあと首をかしげちゃうんです。
ちょっとだけ、大義な話をするね。
なんだか「悪い」にたいして「良い」が言いづらいと思うんです。それによって僕だけではなく一定数の人間を生きづらくしているんじゃないかなと考えています。その一つの原因として、良いを表現する言葉よりも悪いを表現する言葉のほうが多様で、かつ面白いのです。

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「嫌われる勇気」の著者、古賀史健さんがそのようなことを言及しているので読んでみてください。たとえばtwitterで喜ばれるのは「この映画いいなあ」より「この映画くそつまんねえなあ」だし、「彼は恰幅があってかっこいい」より「あいつの腹、豚みたいだな」なんですよね。僕はそれはしかたのないことだと思うんだけれど、「いいなあ」を語るには肩身が狭いと思っちゃうんだよね。

 

気づけば、僕はあんまり人に「いいなあ」を言えなくなっていた。「いいなあ」を人に言いたいがために必死になってその理由を探す努力をして、知りもしないうんちくを披露していた。だから中学2年生の「見ているだけで私までうれしくなりました」という言葉を前にして、襟を正すような気持ちになった。見ている「だけ」ときて、私「まで」うれしくなりました。と書いた彼女の表情や頭の中を想像したら、いかに彼女が生き生きと僕に物語っているのかがわかるのだ。それはもう本当に快い出来事だった。「いいなあ」を背伸びをせずに素直にはなすとこんなにも力強いんだよ。まだまだ肩身は狭いけれど、素直に「いいなあ」を伝えてみようと思う。

 

今日も読んでくれてありがとう。「いいなあ」を呟けるSNSがほしいね。また明日。

 

自分ができることを他人ができないといらっとする。ことについて

「じぶんができることを他人ができないといらっとする」というのは、人間にくみこまれたプログラムじゃないでしょうか。「どうしてこんな簡単なこともできないの」と子供に怒る大人はそのいい例だろう。はやくこの事実に気づいたひとや、カンがいいひとは「怒らない努力」ではなく「怒りそうになったときにうまくやる努力」をしていると思う。僕もそうだ。バイト先で新人がミスをおかしてしまったとき、怒りそうになるのをぐっとこらえて、「まあそんなときもあるさ」と声をかけたりあいてによってはちゃかして場を和ませたりする。たまに眉間の皺がかくしきれなくて怖がらせてしまうこともあるんだけどね。

 

困ったことに、僕がよくミスをする人間なのだ。とても手先が不器用なので初めて任される仕事は高確率で失敗をする。グラスを落として割ってしまうことがあるし、ラッピングをしていてプレゼントを傷つけてしまったりする。すると、さきほどの法則どおり「なんでこんな簡単なこともできないだ」と先輩や上司に叱られるのである。よのなか寛容でできた人間というのは少ない。こうなると僕はグラスさえもうまく扱えないやつだと先輩に認識をされる。そうなれば当然カクテルなんて作らせることはできないと判断されるし、じゃあもうお前はホールの仕事をやれとわかりやすく左遷されることだってある。

 

不思議なことに、僕はいまバーカウンター内でカクテルを作っているし、先輩を足蹴につかうことが多い。「先輩、そのカクテルを客に出すつもりですか」なんて言って仕事を任せてもらったりする。僕が失敗をした後に、がむしゃらに努力をして、先輩を見返してやろう!と躍起になったわけではない。ホールの仕事をしていたら自然とカウンターの中に入れてもらうようになり、気づいたらカクテルを作るようになり、先輩と対等に話をするようになっただけである。つまりどうころぼうとも僕は先輩とカクテルを作りあうことになっていたのである。グラスを割ろうが割るまいがね。

 

怒りにはいろいろな種類があるようだ。例えば「プライドを傷つけられたことへの怒り」「大切なものを奪われた怒り」「反省に近い自分への怒り」とか、書きはじめるときりがないけれどその中に「自分ができることが他人にはできない怒り」がある。この怒りには注意が必要だ。なぜなら誰でもミスをおかすことはあるからだ。そして、この怒りが限りなく自己本位なものだからである。身近にある怒りにもかかわらず、表に出したところで一利もない。僕は、幸運なことに数えきれないくらいこのタイプの怒りを身に受けてきたから自分で気をつけておくことができる。本当に幸運な男である。本当にね。

もし、君が不当な怒りをかってしまったら、特に問題はないと考えよう。それは君の問題ではなくて怒った本人の問題だし、個人的な怒りというのは共感をえることが難しいのだ。時間が解決してくれるので、はやく布団のなかに入って寝てしまおう。

 

今日も読んでくれてありがとう。僕は本当に幸運な人間だなあ。

 

 

僕を通して見たいものを見ているだけだ。

最近過去の自分がのこしたツケをあちらこちらまわりながら精算をしている。これはけっこう精神的にこたえるものだ。財布からお金をすっと抜き出すたびに「いったい俺はなにをしていたんだろう」と我にかえることになる。

僕はいま、改めて「僕はそんなよくできた人間じゃないよな」と再確認をしている。すると今までに友達やガールフレンドが僕にかけてくれた優しい言葉がぽつぽつと浮かび上がってくるんだ。そして、「そんなよくできた人間じゃないって」と苦い顔をしながら返答をする自分が続いて浮かび上がってくる。これほど情けないことはない。

もう、ダイレクトな言葉はこれだ

「あなたはしっかりしているから、計画的にお金をつかいそうね」

女子大生の女の子と二回目のデートをしたときに言われた言葉だ。そのときは笑い顔をつくって適当に流してしまったが、今になってじわじわと威力を発揮してきた。僕はけっこう浪費家で、やっかいな人間なんだ。そんないいもんじゃないんだよ。

ちょっと話からそれるけど、こんな言葉も思い出した。

「あなたは白のシャツが似合うよね」

これもガールフレンドがデートの帰りに僕に言った言葉である。その日はひどく暑くて、白のTシャツにオリーブ色の短パンというラフな格好をしていた。デートに着ていく格好としては首をかしげてしまう。けれど彼女は僕に好意的な印象をいだいてくれたようで僕はちょっと嬉しかったのだ。そこまでは素敵な話なんだけれど、つづけてこの言葉を思い出してしまう。

「あなたは黒が似合うわよ」

ギャグ?これは二年位前に一方的に好意を持っていた女の子からもらった言葉だった。女の子と喫茶店でぽつぽつと会話をしていたのだ。僕は黒の生地にキースへリングの犬の絵がプリントされたTシャツとグレーの短パンを履いていた。「あら、犬の絵じゃない。キースへリングね」と彼女は言った。「そうだよ。君が犬が好きだと知って着て来たんだ」と僕はいった。「うん、その犬も素敵ね。それよりあなたは黒が似合うわよ」と彼女が言ったのだ。例の言葉だ。もう僕はシンプルに嬉しかった。自分が着ている服を気に入ってもらえたことや、彼女が僕に似合う色を見定めてくれたことが僕にとって特別な経験だった。

 

これらの言葉は僕を一時的に舞い上がらせたり、深く反省させたりした。けれど、いま思い返すと、はたしてそれらの言葉は僕自身について話していた言葉なんだろうか。と疑問にを覚える。だって本当に僕のための言葉なのならだれがみても「白が似合う」か「黒が似合う」となるべきじゃないか。けれど実際は、見る人によって「僕が似合う服の色は変化する」のである。

本当はさ「僕を通して見たいものを見ようとしている」だけじゃないのかな。という考えに至った。「計画的にお金をつかいそう」という評価も、僕がどういう人間かはどうあれ彼女がそう信じたかったのである。これはけっこうショックな事実だ。それを認めてしまうと、今まで僕にかけられた優しい言葉はただの利己的な目的をもった言葉であって誰も僕自身を正しく理解しようとは思っていなかったということにならないだろうか。

じゃあさ、「そんなよくできた人間なんかじゃないって」という罪悪感を背負う必要はないということになるよね。だって僕が良い人間であろうと悪い人間であろうと、評価をするのは相手側で、相手が好きなように脚色をしているんだから。思い返すと、僕も同じようなことをしている。「もしかして、あの子は俺に気があるんじゃないの?」なんて妄想は最たる例なんじゃないか。そうか、みんな同じように妄想をして楽しく生きようとしているんだ。そうだ。いまさらそんなことを言っても野暮だな。

と、結論にいたったけれど、僕は本当にそれでいいのかなあ。僕に与えられた優しい言葉をけっこう大切にして生きてきたんだ。きっとこれからも、自分をちゃんと理解しようと努めてくれる人を探しちゃうんだろうね。

最後に、もうひとつ思い出した会話をかいて終わろう。

「私にはね能力があるの。相手の言動をみていると、育ちがいいか悪いかを見極めることができるの。それについて私は良いとも悪いとも感じない。ただわかるのね」

「僕はどうなんだろう」

「あなたは育ちがいいわね。どんなに粗暴なことをしてもわかる」

「ふーん。きっと理由を訊いても君自身わからないんだろうな。育ちがいいということは、君にとっていいことなのかな?」

「もう一度言うけれど、それについて良いとか悪いは関係ないのよ」

 

今日も読んでくれてありがとう。みんな自分に都合がいいように生きたいけれど、ちゃんと君を見てくれる人はいると思うんだ。また明日。

 

 

「がんばらない」ことについて。

僕はなるべく頑張らないように心がけて生きている。心がける、なんていうことは、普段なにげなく生活をしていると、つい、がんばってしまうということだ。

とても親切な読者の方は、おまえは何をがんばらないつまりなんだ。と疑問をいだいてくれるはずだろう。僕は「ひとに気をつかうことをがんばらない」ようにこころがけている。うん、たぶん何をいっているかわかないでしょうね。けれど、けっこう大事なことなんだよ。

人は、気心知れた仲の人物を除いて、つねに気をつかって他人と接している。見ず知らずの人と接するときは笑顔を絶やさずに、普段よりも高い声で、はっきりと話すことが常識としてあつかわれている。僕はその習慣を不必要だとはおもわない。むしろ、円滑なコミュニケーションをとるには必要なスキルだと認識している。僕だって、金を稼がないと死んでしまうのだから、必要最低限度のスキルは身に着けている。でもさ、例えば、近所で人とすれ違うようなケースや、休憩時間に仕事先の人と話すとき、そのスキルを発揮する必要はないかなあ、と思うのだ。正しく言うと、せっかく僕みたいな人間と話しているのだから、お互いに習慣的な笑顔は必要ないよと伝えたいのである。

こんなことを考える理由の根本には、僕は性悪説を信じているという事実がとても大きい。人は生まれながらにして、何らかの罪をもっていて、人生を通して乗り越えなければならない。と考えている。なんだ、キリスト教の勧誘なのか?と怪しがるのは無理もない。けれどさ、冷静に考えると、どうもこれは確からしいと思うんだ。人は少なからず、何かしらの罪を抱えていて、それを克服することで精いっぱい頑張っているのだ。もちろん僕はその一人で、毎日、ごしごし身体を洗うようにして汚れを落としていこうと頑張っている。みんな自分のことでいっぱいいっぱいなのだから、じゃあせめて、それを理解している自分に対しては余分な労力を費やすことはないよ。と言いたい。「お互いに、苦労が続きますね」と言葉を交わさずに、ただ顔を見合わせるだけで労いたい。だから僕は頑張らないのだ。

なんだか、まだ僕のことをうさん臭いやつだと疑っているひとがいそうだから、お話を続けよう。坂本龍一は「音楽は自由にする」という自伝を出版している。幼少期から現在に至るまでを回想してつづるのだが、本の序文にこんなことを書いている。

「僕の人生経験をもとに、作品をつくる。すると作品は僕の体から切り離されて遠くに飛び立ってしまう。僕からうまれた作品なのに自分のものではなくなってしまうのだ。当初、それを非常に恐れたし、虚無感を覚えた。しかし、僕のもとを離れることによって、作品は私以外の人々のための作品になる力を得るのである」

つまり、芸術家は自身の身体をそぎ落とすようにして人々に普遍的な作品を生み出そうとしているのである。そして僕は、その特性を利用して、自身の抱える後ろ暗さを身体から切り離し克服しようとする芸術家が多数存在すると考えている。フランシスベーコンやサルバトーレダリもその一人だろう。彼らが特別な才能を持っていたことは疑いのない事実だけれど、自分がもつ罪を一生かけて克服しようとしたという点では、私たちとおなじなのではないだろうか。

もちろん、「え、克服するべき課題?クラブで踊ってればいいじゃん」という人がいることはわかっている。けれど、その人たちも、無意識の領域にあるだけで、きっといつか対面することになるのだ。と、考えると同じような年代で、自分の後ろ暗さに気づき、なんとかしなくちゃ、、と努力をすることができる人はとても誠実で、人生を全うしようという気概をもった人間だ。それはとてつもなく尊いことなんだ。だから僕は彼らの一員として、「がんばらない」を実行しようと思う。それぞれが、自分のことに専念をすることが、結果として、人々の最大の幸福につながると信じている。

 

けっこうあやしい文章になってしまったけれど、読んでくれてありがとう。「がんばらない」ということは、多くの人を救うことができると思うんだ。また明日。

 

 

大人になるにつれて「好きです」と言えなくなる。 前編

 ( この文章は未練タラタラな僕が過去を冷静に判断するために書いて、公開をしています。残された可能性を洗い出す作業です。思うことがあれば伝えていただけるとありがたいです。)

 

 

大人になるにつれて、「付き合ってください」のまえに「好きです」といえなくなってきた。これは僕だけの悩みなんだろうか。がんばって正確なことばをさがすと、「好きです」ということばを使うことに抵抗を感じるようになった。いったいなにがあったんだろう。

 人によって恋愛観をかたち作ったものは違うだろう。ある人は「美女と野獣」かもしれないし、ある人は「リバースエッジ」だったかもしれない。

僕の恋愛観を形作った作品は、もう、間違いなく「いちご100%」だ。もう、なんてったって「いちご100%」なのである。作品を読んだことがないひとのために簡単な説明をします。

「いちごぱんつを履いた4人の女の子達に童貞がめっちゃ弄ばれるエッチなお話」です。なんだそれ。

いちご100%」が連載していたのは2002年から2005年で、当時僕は小学5年生のころだった。まだ周りはジャンプよりもコロコロコミックを購読している友人が多く、狭いコミュニティのなかでは、知る人ぞ知るちょっとエッチな作品という位置づけがされていた。うっかり女の子のパンツをみてしまったりすると「うわー、吉田へんたいー」と弾圧されるような、性に対して不寛容な環境だったので、僕はこっそりと書店でコミックスを購入し、自室に鍵をかけてみちみちと読み込んでいた。

今思い返すと、主人公の真中準平はどのヒロインに告白をするときも「好きです」という言葉を忘れなかった。たったの一度もだ。コミックス一巻でニシノツカサに告白するときにいたっては、下校時間の学校で、懸垂をしながら「好きだーーーーー!!!!!付き合ってくれーーーーーー!!!!!!」と叫び散らすのだ。まじで意味がわからん。

告白の手段はどうあれ、僕の好きな恋愛漫画(「I"s」や「電影少女」)はまず、どれくらい好きかということをヒロインに伝えて、その後に「付き合ってくれ」と了承を得るのである。「こうやって告白すればええんか、承知した!」と膝をたたきまくっていたはずなんだけれど、いつ忘れてしまったんだろう。おかしい。

 

さて、話を進めよう

今年の6月、付き合いたい女の子へ告白をするために沖縄へむかった。1週間滞在したうちの二日目に彼女にあって告白をし、そして振られた。残りの滞在期間は国際通りから歩いて5分くらいの距離にある安里という飲屋街で飲んだくれていた。

相手は一年前に就活を通して出会った女の子で、名古屋にいるときは月に一回くらいのペースで遊んでいた。ある時は大学の近くにあるかき氷屋さんでお茶をしたり、ある時は東山動物園でモルモットと触れ合って遊んだりした。そして彼女は入社とともに沖縄に移動がきまり、南の島国で数年間働くことになった。彼女は日光にあたると人より疲労しやすく、湿度が高いとくせ毛が目立つ女の子だったので、あいつ干からびて死んでないかなあと心配をしたが、会ってみたら毎日ヤギの刺身をもりもり食べて元気そうにしていて安心した。なんなら生き血すらおいしそうにすすっていて沖縄で彼女になにがあったんだろうかと心配した。

僕と彼女には「彼女や彼氏が必要ない」という共通の価値観があった。お互いに、「好きとはなんぞや」という問いにずいぶんなやまされていた。だから、「まあ、二人で遊ぶときには気兼ねなく好きなことをやりましょう」ということになっていて、相手が右と言えば右、左といえば左、疲れたといえばそこに長いあいだ立ち止まった。していることはデートだが、非常に穏やかなものだったので、はたからみると熟年夫婦のような雰囲気すらあったと思う。

彼女が名古屋を発つ数日前に、本屋に併設されたカフェでお茶をした。話はいつもどおり「このままの生活を続けると、私たちは未婚のまましんでいくのだろう」という内容に収束していった。普段はどうしたもんかねえなんて溜息をついてコーヒーかレモネードがなくなるまで愚痴を言い合うのだけれど、彼女と長い間会えないかもしれない、と考えたら話を進めようという気持ちになった。そして「40歳になってもお互いが独身だったら潔く結婚しよう」と彼女に告げたのである。彼女はくすっと笑った後に、昨日みた「シェープオブウォーター」がいかに面白かったかというはなしをはじめた。けれど、別れ際に「次に会うのは20年後ね」と僕にいった。

彼女が名古屋からいなくなり、数か月すごして、彼女が手の届くところにいないということがどれほどつらいかということを身をもって理解した。そして沖縄に向かうことを決めたのである。

僕は安里のジャズバーで彼女に告白をした。チャーミングなおばちゃんが一人で切り盛りををするこじんまりとしたお店で、観葉植物やらレコードやらおばちゃんの私物の置物で雑多な印象を僕に与えた。店内はアートブレイキーのソロアルバムが流れていた。

ここからは、僕と彼女のやり取りの要約を書いていく。

「僕たちはお互い気兼ねなく遊んだり、話したりすることができる関係だ。だからこの関係を付き合っていると呼んでもいいじゃないかな」

「私は、付き合いたくない。あなたと、ということではなくて、誰とも付き合おうとは思わない。私は仕事と恋愛を同時にこなすことはできない。あなたとの関係は、他にはないくらい親密なのは認める。けれど、考えてもみて。私たちは付き合うことなく、この関係をつくりあげることができた。だから私は今後も付き合うことなく、関係を維持していきたい」

「君は誤解をしていると思う。いまここにある関係はなんの努力もなく成り立っているわけじゃない。君と僕はエネルギーを費やすことによってこの状態を維持している。いわば仮止めの状態にある。もし、どちらかが努力を怠れば今の状態はすぐにくずれて消えてしまうだろう。それぐらい、とても不安定なものだ。だから僕は付き合うことによって、安定した場所に収めたいと思っている。君が僕の誘いを断るのなら、今の関係はなくなってしまうと思う。それでもいいかい」

「あなたとの関係が失われてしまうのはとても心苦しい。けれど、私はあなたと付き合うことはできない。というよりも、あなたと付き合うことは難しい。第一、私とあなたは遠くはなれた場所で生活をすることになる。そして私は仕事を優先しないといけない。改めて、私はあなたと40になってから関係を深めたいと思っている」

「現実的な問題があることはわかった。それならば、付き合うための条件を提示してほしい。そして、条件を満たせば付き合うという約束をしてほしい」

「わかった。条件を考えましょう」

我々の会話をざっと要約するとこのようになる。時刻は23時をまわっていた。あたりを見渡したが、客はおろか店主のおばちゃんの姿もなかった。おばちゃんは気を聞かせて外に一服しにいったのかもしれないし、閉店時間をすぎても居座る客に辟易としたのかもしれない。どちらにせよ、おばちゃんにはけっこう気を遣わせてしまったのは確かだった。お店に戻ってきたおばちゃんは二本のペットボトルを抱えていて、会計を済ませると「またおいで」といって僕たちに一本ずつコカ・コーラをくれた。

以下、コーラを飲みつつ国際通りまで歩いているときの会話

「条件について、時間がかかってもいいから考えてほしい。君がいやだと思うことはすべて詰め込んでもらってかまわない」

「考えているけれど、むずかしいよ。いったいどんなものものがいいんでしょうね」

「たとえば、たばこを吸う男と付き合える?その程度でもいい」

「ああ、煙草を吸う男とは付き合えないわね。そうね、それは条件に加えましょう。ねえ、ひとつ聞いていいかしら。あなたはどうして、私なの。他に素敵な女性がいるでしょう」

「その答えは難しい。理由はあるんでけれど、これだからこうと発言すると、どこかでうそをついてしまいそうだから話したくない。それに、多くを話すと自分が不利になりそうで怖い」

「あら、そうなのね。そういうものかしらね」

僕たちは国際通りにつく。彼女はタクシーをひろい、僕は徒歩で宿に戻ることになる。彼女はタクシーが現れるのを待っている。

「条件を考えているんだけれど、今日答えるのは難しいわね。あの、やっぱり、あなたにはもっとふさわしいひとがいると思うの。私なんかよりもずっといい人が」

僕はそれを聞いてわずかな怒りを覚える。

「その言い方は卑怯だと思う。中途半端な優しさなんて必要ないよ。条件はもういいよ。いっそ、僕が必要ないのなら、必要ないといってくれたほうがよほどいい」

「じゃあ、いらない。今日は楽しかったわ。さようなら」

彼女の前にタクシーが止まり、ドアが開く、するりと車内に入った彼女は少しだけ僕に微笑んで、ドライバーに行き先を伝えている。そして去っていった。僕が最後にみた彼女の姿はスマートフォンを無表情に眺めている姿だった。

 

はい、回想は終わり。きょうはここまで。

 

 

 

 

 

きっぱりと「アンパンが好き」ということについて。

声を大に話すととってもいいことがある

多くのひとは欲しがっているひとに自分が持っているものをあげようとしているし、多くのひとは君がどういう性格でどう思っているかを知ると安心するようだ。

「ぼくはアンパンが大好きなんです」なんていわれたら、「じゃあちょっとあげようかな」という気持ちになる。

「ぼくはアンパンが大好きなんです。だからたくさんのアンパンを作ってみんなを幸せにしたいんです」なんていわれたら、「じゃあちょっと、金銭的に援助しようかな」という気持ちになったりする。

近所の中学生から、ずいぶん遠くにいる実業家まで、僕のしるひとたちはずいぶんと声がおおきい。しかも「1タス1は2だ」ぐらい単純明快な事実をはずかしがることなくしゃべっている。これが意外とみそだ。きっとだれにでもわかるというところがいいのだろう。

 

さて、僕はというと、声は大きくも小さくもない。けれど、単純でわかりやすいことは注意して話さないことにしている。みんなが知らないことをいって偉ぶろうなんて魂胆じゃない。僕は物事にすっぱりとけりをつけちゃうのはなんだか不誠実なことだと思うのだ。

例えば、「君のすきな食べ物は」と聞かれたとする。そこで「アンパンです」と言い切るのはよほどやる気がないか、自分に自信があるかのどちらかだ。じゃあこう聞きたい、君はものすごいおなかが減っている夕食時にもあんぱんを食べたいとおもうだろうか。たぶん答えはノーだろう。「食後にまだおなかの余裕があるときにたべるアンパンが一番好き」というのが本当かもしれない。なんなら最高におなかが減っていたら何よりもカレーが好きかもしれない。

僕はね、ひとは自分でも理解できないくらい複雑なそんざいだと考えてる。だから、「よし、わからん」と言い聞かせて、なんども場合分けをくりかえしつつ自分を理解するしかないと思うのだ。それは人に限らず、社会や文化にもあてはまる。とにかく、僕たちが日々せっしている物事はそんなに簡単にいいあらわせるものではない。

自分が知らないものや、無意識のうちにあることに目をむけず、「アンパンが一番好き」なんていうのは、自分にも相手にもある意味でうそをついているようなものだ。そして、それは不誠実なこういだと思う。

だから、僕は「アンパンが好き」と大きな声ではなすひとにアンパンが集まってくるのをしり目にしつつ、できる限り正しい言葉をさがす努力をしている。自分のためにもなるし、なにより相手に誠実な態度だと信じているからだ。

 

くだらない文章をよんでくれてありがとう。アンパンは食べられないけれど誰かを救うことはできると思うんだ。また明日。

 

 

 

ようやく雨が降り始めた。

雨が降り出したのを窓からかおる土のにおいで初めて知った。

ここのところ、一週間近く快晴が続いており、太陽が精力的に活動をしているのにも関わらず、その評判は芳しくなかった。彼の活動は学校の経済力がいかに貧相かを明らかにしたし、地方のインフラが不完全であることを明らかにした。

きっと彼はずいぶん頑張ったに違いない。台風8号の「クリスティーン」に長い間、役目を奪われ憂き目にあったことは容易に想像できる。

彼の父親は、慢性的なアルコールの摂取が災いして肝硬変を患い、295歳という若さで亡くなった。まだ、地上を照らす実力を十分に身につけていなかった彼は、ひどく狼狽したし、はたして自分が父の代わりを務めることができるのかと自分を責めることを何度も繰り返した。しかし、地上では100年に一回といわれる大規模な冷害がおこっており、人々に甚大な被害をあたえていた。定期的に地方から農作物を徴収し、何連も連なる倉に貯蓄を行っていた都市部の人々や、一部の先見の明がある優秀な人物がおさめる村をのぞいて多くの人々が慢性的な食糧不足に直面していた。その惨状を目の当たりにして、彼は地上を照らす役割を担うことを決意した。植物や人々にエネルギーを与え、豊かに成長をうながすのは彼にしかできないことだった。

彼が地球上に光と熱を投射しはじめてからすでに200年異常が経過した。その仕事ぶりは板につき、「イケナイ太陽」と呼ばれた往年の彼の父を彷彿とさせた。

彼の活躍をこう記している間に、きっとかれはネクタイの結び目を緩めているに違いない。すでに眠りについた息子の頬に軽くキスをし、シャワーを浴びる準備を整えているはずだ。もう、彼の父の怠惰な姿はどこにもなかった。

身体に浴びたわけでもないのに、屋根をたたく雨の音で太陽が休もうとしていることがわかりました。彼にもプライドがあるだろうし、今日はそっとしておいてやりましょう。