暑い夜に、オタクの書く話。昨日の続き。
僕にはガールフレンドはいない。誓って言うことができる。僕にはガールフレンドはいない。
高校二年生の時にアメリカのユタ州にホームステイをしたことがある。僕のホームステイ先の過程は熱心なモルモン教徒で、毎朝コーヒーを飲む代わりにレモネードを飲んでいた。そして、夜になると家族が暖炉の前に集まってきて、家族は膝をついて手をあわせ、神にお祈りをした。日曜日の午前中に、ホストマザーは当然のように僕を協会に連れて行こうとした。僕はブルージーンズにコットンのシャツ、赤色のカーディガンという格好をしていた。玄関で白と緑のスタンスミスを履こうとしたところを、キッチンからやってきたホストマザーは僕には聞き取れないぐらい小さな声で何かを呟き、その後、明瞭な声で「制服に着替えてきなさい」といった。
ホストファザーはユタ州にある日本の自動車会社の役員だった。仕事から帰ってくると真っ先にキッチンでハンバーガーを食べている僕のもとにやってきて、「やあ、昇。調子はどうだ」と声をかけた。そしてぐっと口角を引き上げて僕に握手を求めた。彼は本当にスマートな笑顔を作り上げることができた。僕が同じ顔を作ったところで二秒も継続することはできないだろうし、翌日頬が筋肉痛になってしまうかもしれない。彼は僕が二週間のホームステイを終えるまで、笑顔を絶やすことがなかった。「君は、今まで迎えてきた学生の中で、最も、優れた人物だった」と僕に語り掛け、ハグを求めるまで、その笑顔は絶やされることはなかった。
唯一、たった一度だけ彼は素の顔を僕にみせた。日中に、大粒の汗がしたたり落ちるぐらい、バスケットボールの試合で身体を動かした夜、家に帰って夕食を食べるとすぐに、自室で深く眠り込んでしまった。目を覚ました時には夜の10時だった。恐る恐る、自室から出て、地下から階段で上階にあがり、居間にだれかいないかを確認した。すると、パジャマ姿のホストファザーが、居間と寝室の仕切りの部分に腰かけてペーパーブックを熱心に読み込んでいた。
「やあ、デボン」と僕は言った。
相手の反応を待つ前に、疲れていて寝過ごしてしまったことを正直に伝えた。
「バスケットバールをして疲れてしまったんだ。それで今の時間まで寝てしまった。お祈りをすっぽかしてしまってごめんなさい」と僕はあやまった。
彼はようやく本から顔を上げて僕の顔をみつめた。彼の顔には表情というものが全くなかった。そこには一切の同情もなければ怒りも読み取ることはできない。僕はアメリカに来て、初めて自分が日本人国籍であり、16歳の男性であり、彼女というものを得たことが一度もない人間なのだと客観的に理解することができた。彼の表情が、彼と僕の存在のすべてを象徴していて、どれも間違いなくリアルだった。
「おいで」とデボンは言った。僕は無言でかれのもとに歩み寄り、腰掛けている彼を見下げる形で、彼の次の言葉を待った。彼はアーウインショーの「リッチマン、プアマン」を読んでいたことが分かった。
「冷蔵庫の中のレモネードをのみなさい。そしてぐっすり眠りなさい」
そして、彼はまた本の続きを読み始めた。
疲れたオタクがそれっぽい文章をかきますよ。
なんとうか、心底疲れてしまった。
こんにちは。就活に失敗したオタクことかなとです。
茨木のり子てきにいうと「もうなにものにもよりかかりたくない」し
YUKIのJOYてきにいうと「YES NOどちらでもないときだってあるでしょう」なのだ
いや、マジで。
ボストン美術展の展覧会でみた油絵を忘れることができなかった。アイルランドで生まれ、そしてどこかで亡くなったその画家の絵は僕の目を奪ったうえに、僕をどこか遠くに投げ捨ててしまったようだった。日中の砂漠に複数の人間が散り散りに立ちすくんでいる風景を描いた作品だった。僕は特に砂漠についての知識を持ち合わせていない。電波少年の企画で、二人の男性が灼熱の砂漠をラクダに乗って10時間ほどかけて走破するという映像を動画投稿サイトで観たことがある。涼しげに歩を進めるラクダとは対照的に彼らは何度も水を求めて休憩を要求していた。とかく、砂漠とは非常に熱く、たまに非常に寒い環境なのだ。
美術館で観た絵は、僕に窮屈なくらいの蒸し暑さを連想させたわけでもなく、切り裂くようなのどの渇きを連想させなかった。ただ、僕に巨大な寂寥を与えた。今だから冷静に「それは砂漠の絵だった」なんて断定的な回想をすることができるが、その絵は砂漠と認識するにはいささか時間がかかる代物だった。ジャクソンポロックやマークロスコのように、意図的に、無意識に、ある意味で抽象画のような手法で描かれているように見えた。
油絵を描くものにとって、ウォッシャーという画材を知らないものはいないだろう。筆についた油を分離し、毛先を保護するための油である。書道において、筆をバケツの水に浸すと墨汁が自然と落ちていくように、油絵において、筆の油を落とすのは容易なことではない。油は使い続けるほど酸化し、濁っていくものである。油の変え時は人それぞれだが、数日同じ油で筆を洗い続けると、底にはヘドロのようなものがたまり、油自体が黒茶色に変色する。あんなに不愉快な気持ちになるものはなかなか存在しない。すべての色を足し合わせると灰色にあるように、必ずと言っていいほど、ヘドロは薄暗い灰色に落ち着いた。
美術館でその砂漠の絵を観たとき。僕はなんて薄汚い絵なんだと不愉快な気持ちになった。その絵は廃棄されたヘドロを、画面の中央を横切るように、思い切りぶちまけることで下絵の土台を築かれていた。筆跡は荒々しく、そして迷いはまったくない。僕はそこに作者の果てしない憎悪を感じ取ったのである。その後、作者は、体裁を整えるように、丁寧な筆遣いで地表を描き、黒い人影を描いた。最終的には、砂漠にたたずむ人々に落ち着いていた。その過程を数秒の間に想像し、僕のなかの不愉快な気持ちは寂寥感に変化していったのである。
オタクショートストーリー2 スマートな別れ
「僕たち、40歳になってまだ独身だったら、潔く二人で結婚しよう」と僕は言った。
彼女は目の前に置かれたレモネードのグラスを握りしめて、輪切りにされた檸檬をプラスチック製の短いストローを使って何度も押しつぶしていた。
「さっぱり檸檬の酸味がしないの。なんだか甘いシロップを飲まされているみたいで」と彼女は言った。視線は依然として、グラスの中の檸檬に注がれていた。そして彼女はストローの動きを止めることをしなかった。
「どうやら、レモネードの醍醐味をわかってないようだね。僕の店だと果汁を絞ってから檸檬をグラスに入れるし、飲物によっては飲み口に果汁をつけたりするんだ」
「素敵なお店ね。レモネードの何たるかをきっと熟知しているのね」
「もちろん」と僕は答えた。
レモネードの醍醐味。またはレモネードの何たるかを僕は知らなかった。それに見当もつかなかった。彼女はおそらくそのことを察しているだろう。けれど、それについて問い詰めたりすることはしない。
僕たちは本屋の中に併設されたカフェから出てエレベーターに乗り、地上に降りてきた。施設から電車の改札口までは直結しており、エレベーターを降りた直後、二人は別れを告げるタイミングをそれぞれの感覚で図りはじめた。
「東京に出るのは何日なの」と僕は切り出した。
「3月31日よ。宿を調べてみたら住所が町田だったのよ。本社から遠いし、足もけがをしているし、なんだか不安ね」
「君のあだ名が骨折にならないことを祈るよ」
「私もそう祈るばかりだわ」と彼女は言った。
我々の意識には共通して別れという言葉が付きまとっていた。
僕は23年の人生で、いまだにスマートな別れを成功させたことがない。スマートな別れには、心地のよい笑顔と、気の利いた言葉と、後腐れのない気持ちが必要なのだろう。僕が憧れるのは、まるで次に会うことが決められていているような爽やかな別れである。別れには耐えようがないほどの寂寥感がつきまとった。僕は(意図的な)固い握手を交わした後に、必死に目じりを下げ、口角を上げる努力をした。自分が持ちうる最大の笑顔を相手に作って見せようとするのだ。しかし、必ずといっていいほど、相手は憐れむように僕をみて笑った。そして「そんな悲しい顔をするなよ。またすぐ会えるさ」と気をつかって僕に語りかけるのだ。いったい何が原因なのだろう。顔の造形に問題があるのは明らかなのだが、それについて僕は見当もつかなかった。レモネードがなんたるかを理解できないように。
「僕はもう少し本を読んでから帰るね」と先ほど降りたエレベーターに視線を投げかけて呟いた。避けがたい別れがまたやってきたのである。
「わかったわ」と彼女は言った。
彼女は首をほんの少し傾けるようにして僕を見上げた。彼女は斜め上を見上げるとき、ユーモラスでほんの少しアンニュイな表情をする。僕はその表情がたまらなく好きだった。
「次はいつ会うことができるだろうね」と僕は言った。
「そうね、40歳になった時かしら」
「おいおい、ちゃんと覚えていたんだな。聞いていないかと思ったよ」
「お互いに独身であることを祈っているわ」
彼女はそう呟いて、改札の方向に向かって歩いていった。僕は茫然と彼女の背中を見つめることしかできなかった。
僕はいつになったらスマートな別れを身に着けることができるのだろう。もしかしたら見当もつかないまま一生を終えるのかもしれない。けれど、あのとき口から出かけた言葉がある。
「僕もそう祈るばかりだ」
なんの変哲もない言葉にスマートな別れの鍵は隠されているのかもしれない。
オタクショートストーリー1 「チャーハン」
チャーハン
深夜の 3 時をまわったとき、またもや遠藤優が僕の家にやってきた。彼はスリッパをはき終えたあとに、いつもの癖でつま先を床に 3 回たたきつけた。僕はベッドの中からその音を聞いて彼の訪れを知ったのである。
「なあ、ご飯を食べさせてくれよ。今日はずいぶんしごかれたんだ」と遠い波のような声が キッチンから聞こえてきた。
「知らないよ、何時だと思ってるのさ。とっくに人は眠ってるし、テレビ番組だって放送さ れてない」と僕は眠い目をこすりながらつぶやいた。バタンと冷蔵庫が開く音が聞こえた。すでに彼は食べ物を物色しはじめたようだ。
「おいおい、人の冷蔵庫を勝手にあさるなよ。おまえの彼女もそんなことしないだろ」 たしか冷蔵庫には今日の昼間にマックスバリューで買ったピーマンとエリンギが入っているはずだ。もう勝手にしてくれと布団にもぐって目をつむった瞬間、ごま油をよく熱した 香ばしい匂いがただよってきた。
「ご飯を入れるタイミングを誤らないようにしてくれよ。そして塩コショウはおまえが思 っているより大胆に振りかけたほうがいい。以前つくったチャーハンは塩気がなかった」と僕は言った。
彼は返事をしなかった。ピーマンとエリンギを小気味よくきりわける音が聞こえてきた。 やれやれ、空腹時の彼は誰の話も聞かないのだ。止めるだけ無駄なのは長い付き合いからわ かっていたのでもう口は出すまいと再び目をつむった。ただ、今回もチャーハンに塩気がたりていなかったら強くしかってやろうと腹のうちに決めた。
ピーマンとエリンギがごま油でいためられる音を聞いていると、なんだか自分が途方も ない船旅をしている気分になった。学生のころフェリーに乗って旅をしていたとき、夜にな ると甲板に上がって波の音を聞きながら岸辺に浮かぶ月を眺めたものだ。
無性にチャーハンを食べたくなってきたので静まりかえったキッチンに向かって「ねえ、 チャーハンはできあがったかい?塩コショウはしただろうね?」と声をかけた。
またもや返事がなかった。とうとうしびれを切らしてベッドから起き上がりキッチンに 向かった。テーブルの上の大皿にはたっぷりとチャーハンが盛られていて、こんこんと湯気 が立ち上っていた。部屋のどこにも遠藤優の姿はなく、スリッパは丁寧に玄関に置いてあった。
僕は世界の誰よりもチャーハンを食べたい欲求にかられていたので、銀の大ぶりなスプ ーンを用意して一口ほおばった。ピーマンと塩コショウの塩梅が抜群によかった。
「遠藤、ずいぶん腕をあげたじゃないか」と僕は部屋のすみずみまで届く声でいった。 答えはどこからもかえってこなかった
就活に失敗したオタクの新年の抱負をどうか聞いておくれ。
今週のお題「2018年の抱負」
新年の抱負は考えなくとももうこれだと決まってしまっている。自分が決めなくとも、今までの後悔した出来事を顧みると、これしかない。
「やるべきことを今すぐに行動する年にしなくてはならない」
僕は意志の弱いオタクなので、期日を与えられるとぎりぎりまでさぼってしまう。最終的には慌てふためいて、まあいいや寝ちゃえ。と布団にもぐって現実逃避をしてしまうのだ。
暮らしの手帳の元編集長、松岡弥太郎は「ほんとうの味方の作り方」という著書の中で、「二晩徹夜して仕事を片付けました!と得意げにいることは恥ずべきことです。私なら与えられた仕事を二晩も徹夜しないと終えることができなかった自分の無計画さに恥ずかしくなります」と述べている。
これは本当にド正論だろう。徹夜をする以前に、自分の時間の管理能力を改める必要があることに気づかされた一文だった。仕事の責任を問われる社会で、リスキーな道を選択して生きるというのは双方にメリットがない。
頭で考えると当然理解はできるのだが、人間、壁を目の前にするととりあえず迂回する道を探してしまうよね。僕の場合はうずたかく積まれた未読の書籍だったり、友達からの飲みのお誘いだ(自分から誘うときすらある)
今年はやるべきことに直視して誠実にやりとげるぞ!
といいつつも、年末までの期日の原稿から目を背けて、この文章を書いている。
だれか俺をぶん殴ってくれ。
オタク兼厄男がiphone5からiphone8へ機種変更したというはなし。
早速だが、僕は今年本厄だ。厄男である。
24歳、無職、身なりの汚いオタクというプロフィールに「厄男」という新たなタグが加えられたわけだ。
ここは、地獄か?
だれが、こんな僕を愛してくれるんだろう。
今年は厄が北風にのって運び去られるまで、部屋に引きこもって映画でもみようと思う。
そんなカースト最下位男が先日4年間使い続けたiphone5をiphone8に機種変更した。
まずはこれを観てほしい。
そう、iphone5をこれ以上ないくらいにバキバキにした。たぶん液晶までやっちゃってるだろう。
僕は強いオタクだから、ポケットから滑り落ちて地面から拾い上げたiphone5の画面が割れてしまったことを確認した後に、無表情で、近くの電柱にスマホ画面を叩きつけた。何度も。
僕の中では、損得勘定を一切抜きにして、iphoneがどれくらいバキバキになるのかが気になったために行動したのだが、後日友人に話をすると、「おまえサイコパスだよ」と一蹴されて部屋から追い出された。
僕はオタク兼サイコパスなようだ。まともな大人の勤める会社が採用しないのもうなずける。
画面があまりにもひどい様をしていると動画をみても気になるし、文章なんて読めたもんじゃない。
これはさすがにまずいなと思い、近くのAppleStoreに訪れて修理をお願いした。
日々、技術の改良が進み、ガジェットが新しくなる世の中でどうして僕は4年間も旧型のiphone5を使い続けてきたのだろうか。
理由はシンプルで、極度のめんどくさがり屋だからである。
僕は作業する時間が長くて非効率的という理由で部屋の掃除をまったくしないし、食べる時間より調理の時間のほうが長くて非効率という理由で自炊をまったくしない。
同じ理由で、機種変更の契約がめんどくさいし、機種の情報を集めるのもめんどくさい。それだったら今ある旧型機種でなんとかしよう。と考えていたら浦島太郎並みに時代から取り残されていた。
効率効率と連呼しているが、ちゃちゃっと片付けてしまうことが吉だということをうすうす感じている。
世の中には非常にスマートな人間が多いようだ。
AppleStoreで真っ赤のポロシャツとブルージーンズを着た店員に、画面の修理を頼むと
「あ、修理するより機種変したほうが安いっすよ」
と一蹴された。ここまで僕の意志を忖度せずにリコメンドされると、まったくもってその選択が正しいのではと錯覚を起こしてしまう。
僕は意志の弱いオタク兼サイコパスなので、言われるがままに機種を選んで、所定の位置にサインをして、支払いをすませた。非常に業務的という意味でプロフェショナルな笑顔を持つ店員だった。見送られて店を出ると、僕の手にはiphone8が握られていた。
全自動機種変更機になった気分だった。
家に帰ってから、事前に行っていたバックアップでiphone8の設定をし、ApplePayのカード登録やアプリのインストールを終えて、細かな雑務がようやく終了した。*1
以下はめちゃくちゃ無精なオタクがiphone5からiphone8に変更した素直な感想である。
- 画面がきれい
言わずもがな、ディスプレイの表現技術がめっちゃ上がってる。なんだこれ、きれいすぎん?カメラの精度が高まったことは後述するんだけど、自分が表現する以前に他人が撮った写真が何倍も綺麗に出力されている。インスタとか画像優位のサービスにいまいち乗り切れない理由に、そこまで写真を加工する必要あるのかな?という疑問があった。改めて新型のディスプレイで友達が投稿する写真を確認してみると椅子から転げ落ちるレベルで驚いてしまう。自分が表現可能なレベルに至ったために、相手の技術や、後続する意志や狙いがダイレクトに伝わってきた。
完全に感化されてしまってその10分後には#deadihpne5でインスタにバキバキのiphone5の写真をアップロードした。いいねはまだない。
- 撮影技術の向上
もうオタクから説明する必要なんてないですよね。とにかく写真がきれいです。なんだこれ。もう一眼レフいらんやんけ、とはならないものの、日常遣いのカメラとしたら申し分ない。むしろapple本社の方角に一日に五回祈りをささげたい。Apple神はオタクに神具を与えなすった。
動画撮影も驚きの連続だ。普段歩きながらのショートムービーを撮るのだが、縦揺れしていかにも素人が撮った動画になりがちだった。こちらで撮影してみると、これはスタビライザーついてます?まではいかないものの、縦揺れが激減していた。もうこれは手振れ補正ってレベルじゃないですね。動画撮影に精を出すことを誓った。
- ApplePayについて
「おまえ、遅すぎん?」とあおらないでください。
今さっき近所のセブンイレブンにスマホだけを携えてコーヒーを買いに行きました。
「idで」シャラーン
「やばない?」
やばない?もう財布を持ち歩く必要ないやんけ。オタクはミニマリストなので外出するときはなるべくかばんを持ちたくないし、手ぶらの状態に近ければ近いほど良いという価値観に支配されている。場所を選べばついにポケットにスマホ一台だけで外出ができるようになったわけです。ありがてえ。
挙げだすときりがないのでこれくらいにして後日また使用感を文章にまとめようと思う。
最後に
iphone5をかるく操作してみると、情報処理が遅すぎるし、表示がいまいちだしで使いづらくて辛抱ならなかった。これはものの30分くらいの話だ。
人のあたりまえの感覚は一瞬で更新され、古いものの価値はすぐに消え去ってしまう(一周まわった価値もあるが)「ひゅー!新型ガジェット最高!オタクはすぐさま機種変しようぜ!」と小躍りする一方で、わずかに恐ろしさを感じている。