就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

疲れたオタクがそれっぽい文章をかきますよ。

なんとうか、心底疲れてしまった。

こんにちは。就活に失敗したオタクことかなとです。

茨木のり子てきにいうと「もうなにものにもよりかかりたくない」し

YUKIのJOYてきにいうと「YES NOどちらでもないときだってあるでしょう」なのだ

いや、マジで。

 

ボストン美術展の展覧会でみた油絵を忘れることができなかった。アイルランドで生まれ、そしてどこかで亡くなったその画家の絵は僕の目を奪ったうえに、僕をどこか遠くに投げ捨ててしまったようだった。日中の砂漠に複数の人間が散り散りに立ちすくんでいる風景を描いた作品だった。僕は特に砂漠についての知識を持ち合わせていない。電波少年の企画で、二人の男性が灼熱の砂漠をラクダに乗って10時間ほどかけて走破するという映像を動画投稿サイトで観たことがある。涼しげに歩を進めるラクダとは対照的に彼らは何度も水を求めて休憩を要求していた。とかく、砂漠とは非常に熱く、たまに非常に寒い環境なのだ。

美術館で観た絵は、僕に窮屈なくらいの蒸し暑さを連想させたわけでもなく、切り裂くようなのどの渇きを連想させなかった。ただ、僕に巨大な寂寥を与えた。今だから冷静に「それは砂漠の絵だった」なんて断定的な回想をすることができるが、その絵は砂漠と認識するにはいささか時間がかかる代物だった。ジャクソンポロックやマークロスコのように、意図的に、無意識に、ある意味で抽象画のような手法で描かれているように見えた。

油絵を描くものにとって、ウォッシャーという画材を知らないものはいないだろう。筆についた油を分離し、毛先を保護するための油である。書道において、筆をバケツの水に浸すと墨汁が自然と落ちていくように、油絵において、筆の油を落とすのは容易なことではない。油は使い続けるほど酸化し、濁っていくものである。油の変え時は人それぞれだが、数日同じ油で筆を洗い続けると、底にはヘドロのようなものがたまり、油自体が黒茶色に変色する。あんなに不愉快な気持ちになるものはなかなか存在しない。すべての色を足し合わせると灰色にあるように、必ずと言っていいほど、ヘドロは薄暗い灰色に落ち着いた。

美術館でその砂漠の絵を観たとき。僕はなんて薄汚い絵なんだと不愉快な気持ちになった。その絵は廃棄されたヘドロを、画面の中央を横切るように、思い切りぶちまけることで下絵の土台を築かれていた。筆跡は荒々しく、そして迷いはまったくない。僕はそこに作者の果てしない憎悪を感じ取ったのである。その後、作者は、体裁を整えるように、丁寧な筆遣いで地表を描き、黒い人影を描いた。最終的には、砂漠にたたずむ人々に落ち着いていた。その過程を数秒の間に想像し、僕のなかの不愉快な気持ちは寂寥感に変化していったのである。