就活に失敗したオタク

就活にしっぱいして無職のオタクの戯言です。

どうして僕が言葉というものにこだわるのか。お姉さんについて。

 どうして僕が言葉というものにこだわるか。と考えたら、やっぱりモノやコトを(多くの場合は自分自身を)相手に「正しく」伝えたいからだ。
 どうしてそんな地味(とされる)ことにこだわりつづけることができたのか。と考えたら、いつだって僕の背中をおしたり、僕の脚をひっぱったり、僕の尻をけとばしたりしたのは言葉だったからだ。ひとつひとつ話し出したらキリがないけれど、本当に、いつだって言葉だったのだ。涙がでそうになるくらい、僕は言葉に感謝をしている。

 

 僕は大学に入りたてのころ、twitterで裏垢と呼ばれるサブアカウントを作った。ネガティブな理由とポジティブな理由があったのだが、あえてポジティブな理由をはなすと、「もっとたくさんの人とつながりたい」という欲求が自然とtwitterに導いたのだ。


 作ったばかりの裏垢は、僕の知的好奇心を短期間に、そして十二分に満たしてくれた。初めて、自分の身体に値段を定めて売り出している女性をみたとき、僕は手が震えたことを覚えている。彼女たちを「けしからん!」としかりつけ(たい)人が世の中にはいるけれど、僕にとっては、どうして身を売るに至ったのか、どのような気持ちで身を売っているのかということが興味の対象だった。僕は200人くらいの女の子たちのリストを作って管理し、ある程度理解が及んできたところで、DMを使って本人に質問ををする。という作業を続けていた。
 と、書いてしまうと、「犯罪者予備軍かな?」とか「特殊性癖をもった変態かな?」と思われるかもしれないよね。けどね「事実は事実として受け入れざるを得ない」と考えるし、「やさしさは、事実のなかにしか存在しない」と僕は考えている。反論があればコメントをください(ニッコリ)


 さて、ある程度裏垢を運用して、例のリスト以外にも様々なリストを作っていった。僕が最も興味を惹かれていたのは「言葉の人」というリストの人たちだった。中には、歯に衣着せぬ発言で人気を博しているアルファツイッタラーや、日常のささいな物事を丁寧な言葉で語る小規模なアカウントがいた。

 いちばんのお気に入りのアカウントは、当時渋谷に住んでいる29歳の女性のアカウントで、今日食べたドーナツの話や、近くの川にサクラを見に行った話や、上司の愚痴などをぽつぽつと呟いているアカウントだった。
 正直、アラサーの女が日中に何を食べたとか、上司の口臭についてとか、まったく興味がわかないじゃない。けれど、なぜか渋谷在住29歳独身の呟きが面白くって面白くってたまらなかった。それで、意を決して、彼女にあいさつ代わりにリプライを送ったのだ。「初めまして。かなとです。いつも拝見させていただいています。素敵な呟きをされますね」みたいな芋臭いやつだ。
 当時の僕は、モノクロの太宰治のトップ画像で「幸福とは」みたいなことを呟いていた。まーあ、とっかかりのない、できたら触れたくもないアカウントだったでしょうね。そのアカウントが「いつも拝見させていただいています」だなんて低姿勢で近寄ってくるんだから、そりゃあもう怖かったろうと思う。


 いまだに理由はわからないけれど、彼女は僕に返信をくれた。

「あなたにそんなことを言われるなんて、うれしくて小躍りしてしまいますわ」

 だった。まだ覚えてる。もうとにかくうれしかったことを覚えている。「どうもありがとうございます。いえいえ、かなとさんの呟きのほうが。」みたいな定型文だったらこんなにも感動しなかっただろう。


 「あなたにそんなことを」で、まずは相手を立てている。僕みたいな年下の、頭の固そうな人間を、まずは認めてくれたのだ。そして、同時に普段から僕の呟きをみていることも暗にほのめかしている。
 「小躍りしてしまい」ときて、もううれしさは最高潮だ。アラサー女性が僕のリプライで小躍りしている。なんて無邪気なんだろう。思わず彼女が自分の部屋の中でスマホを持ったままえっさえっさ身体を動かしているのを想像する。それはもう、間違いなく嬉しいのだろうな。と信じたくなる。
 「ますわ」と締めくくる。これは最後の最後にアラサー女性として、精一杯の振る舞いをして体裁をとろうとしていることがうかがえる。まるで、いまはっと思い出したように。

 

たった一言の返信だけれど、僕は彼女の喜びを動的に想像することができた。まず、リプライを確認し、年柄でもなく部屋のなかで踊る。そしてハッと自身がそんな年齢じゃにことを自覚して、とっさに年上ぶった振る舞いをする。漫画なら1ページくらいの量がありそうでしょう。

そして、このイメージから、「分けてだてなく接することができる」「非常に素直だがお転婆」「大人の女性としての余裕」などのパーソナルな情報を読み取ることができた。
「言葉になじんでいる」という美しさが彼女にはあった。奇をてらおうとも媚びようともしていない。ただ自分の言葉をそっと僕に語りかけただけなのだ。

 自分自身を守るために、または大きく見せるために言葉を身にまとっていた自分には、目からうろこだった。そして、僕もこんな風に、言葉に寄り添えることができたらどんなに素敵なんだろう。と考えた。間違いなく、僕が言葉を意識し始めたきっかけは、あまりにも美しい言葉を僕にくれた、あのお姉さんだった。
 まだまだトプ画が太宰治のころから変わることができていない部分がある。しかし、「あの言葉」という、確かな方向が僕にはある。どんなに間違ったほうに進んだり、あるいは道に立ちすくんでしまっても、僕にとって、そちらに歩んでいるのなら、オールオーケーなのだ。今日も僕はお姉さんの背中をおって文章を書いています。涙が出そうなくらい、僕はあなたに感謝をしています。

 

今日も読んでくれてありがとう。太宰治の言葉をかりる。「私はなんにもしりません。しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです。さようなら。」